ヨーギ と ボーギ [ヨーガ(放棄)とボーガ(悦楽)の探求者]
(ヨーギは理想に束縛され、ボーギはつねに探検する用意があるというなら) それは多くを望むか、わずかで満足するかという問題だ。
ヨーギは野心的だが、ボーギは単に冒険的だ。
あなたのボーギはより豊かで、もっと興味深いように見える。
だが、実際はそうではないのだ。
ヨーギは鋭いナイフの刃先のように、狭く局限される。
深く、ためらいなく、数多くの偽りの層を誤ることなく貫くために、彼はそうあらねばならないのだ。
ボーギはたくさんの祭壇を崇拝する。
ヨーギはただひとつ、彼の真我のみに仕えるのだ。
ヨーギをボーギに対立させるのは、まったく無駄なことだ。
外面へ向かう道(プラヴリッティ)は、かならず内面への道(ニヴリッティ) に先行するものだ。
判定を下したり、採点したりすることはばかげている。
すべてが究極の完成に貢献しているのだ。
ある人びとは、実在には三つの層があると言っている。
真理、智慧(ちえ)、至福だ。
真理を求める者はヨーギとなる。
智慧を求める者はジニャーニに、
幸福を求める者は行動の人となる。
ニサルガダッタ・マハラジ